日ごろ生活しているなかで、
「相手はアドバイスをしてやっていると言っているけれど、これって人格否定じゃないのか?」
と感じることはありませんか?
そこで今回は、人格否定とアドバイスの違いについて私の考えを話していきたいと思います。
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断定か提案か
人格否定と感じてしまうのは、相手から断定された時じゃないかと私は思うんです。
たとえば、
「そんな性格じゃこれからさき生きていけないぞ」
「変わっていかないとダメだよ」 など、
これらの言葉は「お前はそのままじゃ生きていけない」って断定をしてしまっていますよね。
そしてこれって、ただの否定ですよね。
それに対してアドバイスというのは、
たとえば、
「そういう性格ならこういう仕事もあるよ」
「こういう講演に行ってみてもいいかもね」 など、
これらの言葉は「こんな生き方もあるよ」っていう提案をしていますよね。
方法の提案をしているんですね。
こんなふうに私は、ただ否定をして終わりじゃなくて、方法の提案をするっていうところまですることがアドバイスなんじゃないかと思うんです。
→「社会人として」「常識として」って、相手を黙らせるのにすごく便利な言葉だと思う
一般論か経験論か
そして、上で述べたような断定をしてくる人というのは、一般論を用いて言ってくる方が多いように感じます。
たとえば、
「ひとりじゃ生きていけないぞ」
「就職しないと生きていけないぞ」
一見すると正論のように感じるかもしれません。ですがこれってただの一般論なんですよね。
だってネットが普及した今の時代、お金を得る手段なんてたくさんあるし、ひとりで完結できる仕事だって自分自身で作ることができます。
このような言葉をかけてくる人というのは、実際に自分が経験したわけでもなく、「ただ一般的に言われているから」という理由で言ってくる人も多いんです。
ですがそれに対して、提案をしてくる人というのは、経験論を用いて言ってくる方が多いです。
たとえば、
「ネットビジネスっていう生き方もあるよ」
「色んなところからの収入を得ればいいんだよ、分散させてもいいんだよ」など、
これらは、これまでのその方の経験をもとに考えたうえで言葉をかけてくださっているんですね。
押し付けかどうか
人格否定というのは、相手の考えも何も関係なしに、「お前のためを思って」というように、
相手に自分の考えを押し付けてしまっているものなんじゃないかと思うんです。
ボールを直接相手にそのまま押し付けているんです。
対して、アドバイスというのは、
「私はこう思うけども、どうするかを決めるのはあなた自身だよ」というように、
判断は相手にゆだねているものなんじゃないでしょうか。
ボールを一度空中に投げたうえで「取るかどうか決めるのはあなた自身だよ」というように。
→「あなたのためを思って」と言ってくる人からはすぐに離れるべき
おわりに
私自身、これまで様々な人と関わってきた中で、「お前のためを思ってアドバイスしてやっているんだ」という言葉をかけてくる方は、すごく多かったです。
当時はわたしも、「そうか…じゃあそうするべきなんだろうな」と相手の言葉を素直に受け取ってしまっていました。
ですがそれを繰り返してるうちに、段々つらくなってきてしまったんですね。
「アドバイスはたくさんもらうけども、具体的にどうすればいいのか、方法がわからない…」
「せっかくアドバイスをしてもらったのにどうして自分はなにもできないんだ…」 など、
自分をどんどん追い詰めてしまったんです。
でも今考えると、あれって全部人格否定だったんだなぁと感じています。
人格否定なのかアドバイスなのか、それを区別できるだけで生きるのがほんの少しだけ楽になるのかもしれませんね。
ここまで読んでくれてありがとうございました。
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