世間では、周りよりも劣っていることがあるということは、
「いけないこと」
「はずかしいこと」
「直さなきゃいけないこと」
という風潮が強いですよね。
でも、周りより劣っていることってそんなにいけないことなのでしょうか?
私はいけないことではないと思います。
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組み合わせが異なるだけ
人それぞれ、苦手なこと、得意なこと、って誰でもあります。
たとえば、
人と関わることが苦手だけれど、一つの物事に何時間でも集中できてしまう人、
一つのことに何時間も集中するのは苦手だけれど、人と関わるのが大好きな方。
人の話を聞いて理解するのは苦手だけど、文章を理解するのは得意な方、
文章を理解するのは苦手だけど、人の話を聞いて理解するのは得意な方、など。
人にはそれぞれ、得意なこと、苦手なことがあって、ただ単にその組み合わせが異なるだけなんです。
→他人と比較するのは間違い。そもそも、目的地やペースが違う。
育った環境によって得意なこと・苦手なことは異なる
そしてそれには、育ってきた環境や関わってきた人、もともとの性質など、いろんなことが関係しています。
たとえば、
幼いころから本がたくさん家にあるような環境で育った人だったら、文字を読むことが得意になったり、広い視野を持てるようになりますし、
逆に、田舎で本屋もなにも周りにないという環境で育った人だったら、視野が狭まってしまうようになります。
また、親が子どもに精神的虐待をするような家庭で育てば、人に恐怖心を抱くようになってしまうし、
逆に、たくさんの愛情に満ちた家庭で育てば、人に甘えたり頼ったりということが当たり前にできるようになります。
こんなふうに環境が異なれば、得意なこと苦手なことも異なってきます。
→【感想】「子どもの脳を傷つける親たち」。子どもと関わるすべての人に読んでほしい。
治すのは困難
苦手なことを治すのって相当大変だと思うんです。
たとえば、
私自身、小学生の頃からいじめを受けて以来、人に対して恐怖心がずっと残っています。
やはり今でも人と関わるのは苦手ですし、人が多い場所などに行くと体調を崩してしまうくらい苦手です。
HSPの気質もあるため、なおさら。
→生きづらい、人と違う、人混みが苦手、と感じるのならHSPかも?
そのため、以前周りの方たちから、「そんなんじゃ社会でやっていけないぞ」、「変わらなきゃだめだ」など、きついこともたくさん言われました。
そのため、頑張って人と関わるようにしてみたり、人混みに行って慣れさせてみたり、いろんなことをして治そうと試みました。
ですが結局、逆に悪化してしまったんです。
人と関わろうとしたことで自分の欠点をたくさん指摘されたり、きついことを言われたり、つきまといを受けてしまったり、相当なストレスになってしまったんです。
結局最終的に、ひとりでいるほうがストレスもないし気が楽、というところに戻ってしまいました。
こんなふうに苦手なことを治すのって相当難しいんです。
→「普通になりたい」なんて思わなくていい。だって「普通」とは単に一部の人が安心を得るための言葉なのだから。
劣っているものを治すよりも得意なことを伸ばす
わたしは正直、周りよりも劣っているところを直そうとするよりも、自分の得意なことをもっと伸ばしたり広げていったほうがいいと思うんです。
上で述べたように、苦手なものを治すというのは相当な労力と時間が必要です。
いろんな我慢をしなければいけなくなると思うし、気分的にもすごく重くつらくなってしまうと思います。
ですが得意なことを伸ばしたり広げたりするのは、苦手なものを直そうとするよりも労力や時間はかかりません。
得意なことというのは自然と手が進んでしまうものだし、自分にとっても「つらい」とか「嫌だ」という感情を抱くことも少ないですし。
すごく効率的なんですね。
それにAI化が進んでいる現代、ひとつのことをできるよりも、いろんなことをできたほうがリスクヘッジにもなりますしね。
ぜひみなさんも、周りよりも劣っていることを直すよりも、自分の得意なこと、好きなことを伸ばしたり広げていってください。
→人と関わりたくないあなたへ。その心理と仕事。無理に関わる必要はないんじゃない?
ここまで読んでくれてありがとうございました。
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