「あなたのためを思って言っているんだよ」
「お前のためを思って言っているんだ」
周りと違う道に進もうとしたとき、自分のやりたいことをしようとしたとき、周りと比べて劣っていることがあるとき、
こんなふうに言われたことのある方、現在言われている方、きっといると思います。
わたしは、そのような人たちからはすぐに離れるべきだと思うんです。
スポンサーリンク
自己肯定をしたいがために言ってくる場合もある
「お前のためを思って」
この言葉はたしかに、一聞すると「自分のことを心配して声をかけてくれている」というように感じるかもしれません。
もしかしたらなかにはその思いも少しは含まれているのかもしれません。
でもこれってほとんどの場合、相手が自分のために言っている言葉なんですね。
たとえば、自分がその言葉をかける立場だとして考えてみてください。
もし仮に自分が「お前のためを思って言っているんだ」という言葉を相手にかけた際、相手がその言葉の通りに従ったとしたらどう感じますか?
「自分の言った通りに動いてくれた」「自分の言うことを聞いてくれた」というように、優越感や爽快感を抱きませんか?
そして、「自分の考え、言っていることは正しいんだ」というように自己肯定感も高まりますよね。
単に、自分の自己肯定感を高めるために言ってくる場合もあるんです。
自分の立場の明確化
自分の立場を明確にしたいがために言ってくる場合もあります。
たとえば、
「お前のためを思って言っているんだ」そうやってアドバイスすることで、「自分は相手よりも世の中のことを知っているんだ・知識や経験が豊富なんだ」というように、
「自分は相手よりも上の立場なんだ」と、そう思いたいんです。
そうやって自分と相手の立場を明確にすることで安心感を得たいんです。
自分の経験や価値観の肯定
自分の経験や価値観を肯定したいがために言ってくる場合もあります。
人はみな人生という正解のない道を歩いています。
そのため自分の道や経験、考えは正しいのか不安になってしまうこともしばしばです。
これまで自分で選択してきた道、夢や挑戦への挫折や後悔、そして、現在の自分。
それらに対して、不安や心もとなさ、不明瞭さなどを常に抱えてしまうのが人間という生き物です。
そしてその不安を和らげる手段として、自分以外の相手への自分の考えの押し付けがあります。
自分の経験をもとに相手にアドバイスをする。
そうすることで自分の人生や選択を肯定したいんですね。
これまでの自分の経験や考えを相手に押し付け、それに相手が従うことで「やっぱりこれまでの自分の経験や選択は正しかったんだ」と、そう思いたいんです。
→「社会人として」「常識として」って、相手を黙らせるのにすごく便利な言葉だと思う
幸せの基準は違う
でもわたしたちってひとそれぞれ、幸せの基準って違いますよね。
→他人と比較するのは間違い。そもそも、目的地やペースが違う。
田舎でのんびり暮らすことが自分にとっての幸せだと思う人、
いろんな景色や人と出会うことが幸せだと思う人、
ひとりでものを作り続けることが幸せな人、
自分を表現し続けることが幸せな人、
ほんとうにいろんな形の幸せがあります。
→生きづらい、人と違う、人混みが苦手、と感じるのならHSPかも?
人それぞれこんなにも多様な幸せの基準がある中で、
たとえば、
「自分は人が苦手だから、ひとりで田舎でのんびり暮らしたい」と思っている人が、
ひとりでいるのが嫌いな人から、「そんなんじゃ人生つまんないよ」という言葉をかけらてたら、「イラっ」としますよね。
「あなたと私の幸せの基準は違うのだから押し付けるな」、というように。
「あなたのためを思って」という言葉もこれと同じなんです。
単に自分の幸せの基準を相手に押し付けているだけなんです。
→人と関わりたくないあなたへ。その心理と仕事。無理に関わる必要はないんじゃない?
おわりに
自分自身のことや考えを否定されるのはけっこうつらいものです。
たしかに、なかには本当にあなたのことを思ってそのような言葉をかけてきてくれている方もいるかもしれません。
でもそれが自分にとってつらいことなのなら、もういっそ、そのような人からは離れてしまってもいいと思います。
「あなたのためを思って」言っていることが、逆に「あなたを苦しめてしまっている」のなら、もう離れるべきです。
ここまで読んでくれてありがとうございました。
この記事を読んだ人が他に読んでいる記事
スポンサーリンク