人とのコミュニケーションが苦手だったり、
勉強が苦手だったり、
意見を言うのが苦手だったり、
他人よりも劣っているものがあることで周りから、
「お前は周りより劣っているんだからもっと頑張らなきゃこれから生きていけない」、
「どうして周りの子はできているのにあなただけできないの?」、などと比較されたり、
そしてそれによって、
「自分は周りよりも劣っているんだ…」
「自分は周りよりももっと頑張らないとダメなんだ」 など、
自分自身で追い込んでしまったり、周りから追い込まれたりすることってきっと多いと思います。
でも私は、他人と比べて劣っていることは、別に恥ずかしいことではないと思うんです。
そして、そもそも他人と比べること自体が間違いだと思うんです。
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目的地が違う
まず、そもそも私たちって、ひとりひとり目的地が違うはずなんです。
「大企業に入って周りから認められたい!」という人もいれば、
「周りから認められなくともずっと自分が楽しいと思うことをしたい」という人もいる、
田舎でのんびり暮らしたい人もいれば、
都会でバリバリ仕事をしたい人もいる、
とにかく今を楽しく生きたい人、
ひっそりと生きたい人、
ものづくりをしたい人、
表現をしたい人、
本当に数え切れないほどの目的地があって、
それぞれがそれぞれの目的地を持っているはずなんです。
目的地が違えば、必要な要素だってそれぞれ異なりますよね。
自分が生きていくうえで、自分が必要だと思うことが必要な分だけできれば、それでいいと思うんです。
他人と比べたって意味のないことなんです。
ペースが違う
日本って、みんなが仲良く手をつないで同じペースで同時にゴールを目指すのがいいこと、というような風潮がありますよね。
でも私は、それってなんか違うんじゃないかと思うんです。
だって歩く速さって人それぞれじゃないですか。
足の長さも違うし、歩幅も違う 、
その時の気分によって急いだり、ゆっくり景色を見ながら歩いたり、
同じペースで歩けるはずがないんです。
その人にはその人なりのペースがあるんです。
もしその人に合わない早いペースで歩いてしまえば、
息切れを起こしたり、足を痛めたり、転んでしまいますよね。
だから、無理の周りのペースに合わせる必要なんてないと思うんです。
自分のペースで歩いていけばいいんです。
その時が来れば、きっと自然とたどりつくものなんです。
→他人や周りと「考え・意見・価値観が違う」のは当たり前だと思う。
できないものはできない
人によって、やはりどんなに頑張ってもできないものはあるんです。
たとえば、
小学生の頃、逆上がりをどんなに練習しても、やはりできない子っていうのは一定数いましたよね。
それと同じなんです。
できないものはできないんです。
もうそれは仕方のないことだと思うんです。
本当に恥ずかしいことは
ここまで、他人と比較して劣っていたとしても別に恥ずかしいことじゃない、ということについて述べてきましたが、
本当に恥ずかしいのは結局のところ、
去年の自分より、今年の自分が優れていないこと
なんじゃないかなと思います。
他人と比べることは、目的地やペースが違うのだから意味のないことですが、
自分の過去と現在を比べるのは意味のあることです。
もし優れていれば自分にとっての自信になりますし、
優れていなければ、「今年はもっと頑張ろう」という活力にもなりますしね。
他人と比べることよりも、自分自身の過去と現在を比べるほうが、意味のあることだと思います。
ここまで読んでくれてありがとうございました。
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