「普通になりたい」なんて思わなくていい。だって「普通」とは単に一部の人が安心を得るための言葉なのだから。

 

「おまえは普通じゃない」、「普通になりなさい」、「普通にしなさい」。

 

周りの子たちと同じことをできなかったり、どこかズレているということでこのような言葉を言われたことはないでしょうか?

 

この言葉によって、傷ついたり、落ち込んだり、

「普通になりたい」と思って、頑張って普通になろうとしたり、

 

きっとそれぞれ様々な経験、様々な思いを抱えてきたことだろうと思います。

 

でも私は、無理に「普通」になる必要はないと思うんです。

 

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「普通」の基準は

 

まず、一般的に言われている普通の基準とは何なのでしょうか。

 

例えば、正社員であること、コミュニケーション力があること、友達がいるということ、高校に行くこと、結婚をするということ、家を持つということ、スマホを持っていること、など

 

いわゆる、多数派ということなのだと思います。

 

生きづらい、人と違う、人混みが苦手、と感じるのならHSPかも?

 

 

「普通」は時代とともに変化していくもの

 

ですが「普通」の基準は時代とともに常に変化していくものなんです。

 

たとえば、

ひと昔前までは、言われたとおりに黙々と仕事をこなすということが「普通」とされていました。

しかし現在では、積極性や発想力、コミュニケーション力があるということが「普通」とされ、

 

ひと昔前まで「普通」とされていたことが普通ではなくなっています。

 

 

また、ひと昔前までは、定年まで同じ会社に勤め続けるのが「普通」とされていました。

 

しかし現在では、会社の存続自体が難しかったり、会社側がずっと従業員を雇い続けるということが難しくなってしまっています。

 

そのため、同じ会社でずっと働き続けるということ自体が難しくなっており、

転職するということが「普通」とされる世の中になってきています。

 

 

こんなふうに、「普通」というのは時代とともに常に変化していくものなんです。

 

「周りよりも劣っている」ってそんなにいけないこと?

 

 

「普通」にこだわる人々

 

では、「普通になりなさい」と言う人がいるように、人々が「普通」という枠にこだわってしまうのはどうしてなのでしょうか?

 

きっとそれは、自分自身を肯定したいからなのではないかと思います。

 

人は皆、人生という正解のない道を歩いています。

そのため自分が歩いている道は正しいのか不安になってしまうこともしばしばです。

 

だから、「今自分が歩いている道は正しいんだ」、と思えるような、何か目印となるもの、安心を得られるものを常に求めているのではないかと思います。

 

そして、それを確認する目印として「普通」というものがあるのではないでしょうか。

 

 

「普通になりなさい」、「お前は普通じゃない」と自分以外の相手に言うことで、自分は「普通」であると肯定して、安心を得たいと思ってしまうのではないでしょうか。

 

生きるのがつらいのなら、「他人と比べるクセ」をやめよう

 

 

「普通にならなければいけない」なんてことはない

 

「普通」という言葉は、一部の人にとってただ安心を得るためのものであり、ただ単にそのような人たちによって勝手につくられた基準に過ぎないんです。

 

 

だから、もし、「お前は普通じゃない」と言われたとしても、その言葉を真に受けることなんてないし、「普通にならなきゃ」なんて思う必要はないと思うんです。

 

「人と話すのが苦手」「飲み会が苦手」なら内向型なのかも?

 

 

自分にとっての「普通」

 

それにもし仮に、「普通」という言葉があったとしても、わたしは「普通」というのは、

 

「自分らしくいること」なんじゃないかなと思います。

 

 

他人から決められるものではなくて自分で決めるものだと思います

 

「あなたのためを思って」と言ってくる人からはすぐ離れるべき

 

 

普通の人ばかりだったらつまらない

 

それに、もし世界中が普通の人・同じ人ばかりだったらつまらないじゃないですか。

 

たとえば、

夜空にきらめく星たちだって、みんなそれぞれ色とりどり、異なった輝きを持っています。

同じ星なんて一つもありません。

 

だからこそ、わたしたちは星空を美しいと感じるのだと思うし、惹かれてしまうのだと思います。

 

人間だって同じです。

 

それぞれが色々な経験・いろんな考えを持っていて、それぞれみんな色々な「好き」を持っている。

 

だからこそ、色々なおもしろいことや美しいもの、感動するものが生まれるんですから。

 

 

 

「周りとどこかが違う」という欠落感を抱えたまま生きてきた主人公の女の子が、ヘルパーとして訪れた家の人々と関わっていくうちに、自分の中にある様々な感情に気づいていき、しだいに自分自身を認められるようになっていくお話です。

 

「人はみんなそれぞれ、これまでの人生や経験、見てきたものは違くて、持っている物差しは違う。

 

だから、感じることや思うこと、見えるものが違うのはあたりまえ。」ということに気づかせてくれます。

 

たくさんの素敵な言葉であふれていて、全てを包み込んでくれるような、そっと背中を押してもらえるような、優しさと温かさで満ちあふれた本です。

 

私自身この本に救われました。

 

よかったらぜひ読んでみてください。

 

人格否定された時の対処法。考えるべきこと。

 

 

さいごに

 

私自身、小さいころから周りの子と同じことができなかったり、仲良くできなかったりしたことで、親や先生から「もっと普通になりなさい」とずっと言われ続けてきました。

 

そのため自分自身も、

「普通になりたい」

「普通にならなくちゃ」

「周りと同じようにしなくちゃ」

「認めてもらわなくちゃ」

 

という思いを抱えて常に生きてきました。

 

 

ですが、どんなに頑張って普通になろうとしても結局できませんでした。

 

頑張っても頑張っても、否定され続け、

結果、うつにまで陥ってしまいました。

 

ですが、今現在、

「普通にならなければいけないなんてことはない」

と思うようになってから、生きるのがとても楽になりました。

 

やはり、自分らしくいるということが一番なのかもしれませんね。

 

みんな違ってみんないい

 

生きるのがつらいと感じている人へ

 

 

ここまで読んでくれてありがとうございました。

 

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