「仕事へ行きたくない…」
「行くのがつらい…」
こんなふうに思ってしまうことありますよね。
では、ちょっとここで聞きたいのですが、みなさんの仕事をする意味って何ですか?
「生きるため」
こう答える方ってきっと多いと思います。
でもこれって、目的と手段をはき違えているんじゃないかなって思うんです。
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「仕事」も「生きる」ことも「手段」にすぎない
たとえ、今やっている仕事が苦しくてもつらくても、
「生きるために働かなくちゃ…」
というように、「生きる」ために、我慢して毎日仕事をしている方は多いと思います。
でもわたしは、「仕事」も「生きる」ことも、自分が幸せになるための「手段」に過ぎないと思っています。
だって「仕事」は、お金を稼ぐためや、技術を得るためのものであり、「お金」や「技術」は自分が幸せになるためのものです。
そして、「生きる」ことは、自分のやりたいことをやるための時間であり、幸せを得るための手段にすぎません。
決して、目的ではないんです。
いつの間にかわたしたちは、手段と目的をはき違えてしまっているんです。
なぜ手段を目的としてしまうのか
ではなぜわたしたちはいつの間にか、手段を「目的」としてしまうのでしょうか。
きっとそれは、学校での意識の植え付けが原因しているのではないかなとわたしは思います。
高校や大学では教員たちがみな口をそろえて、
「正社員として就職しなければ生きていけない」
「就職できない・しない奴は落ちこぼれだ」
というように、いかにも、「正社員としての就職がゴールなんだ」「それ以外の道はないんだ」というような意識を植え付けてしまっている気がするんです。
そのためにわたしたちは、一生懸命、正社員として就職しようとしますよね。
実際、
「正社員として就職できなければ人生終わりだ」
「正社員として就職できなければ周りから何か言われる…」
というように追い詰められてしまう方も多いですし。
就職が「目的」となってしまっているんです。
そして、もし正社員として就職が決まれば、そこで安心感を得ますよね。
「これで周りから何か言われることはないだろう」
「これで人生安泰だ」
というように。
こんなふうに、学校側の意識の植え付けによってわたしたちは、「正社員として就職して仕事をする」、ということが「目的」になってしまうんです。
→「社会人として」「常識として」って、相手を黙らせるのにすごく便利な言葉だと思う。
手段が目的となってしまったがゆえに「仕事に行きたくない」と思ってしまう
こんなふうに学校側の意識の植え付けが原因して、手段が目的となってしまうんです。
そして、就職して仕事をすること自体が「目的」となってしまっているがゆえに、実際に就職して働き始めると、
仕事をする意味を見いだせなくなってしまったり、
無気力になってしまったり、
仕事がつらい、
仕事へ行きたくない、
と思ってしまうんです。
目的を見直してみよう
「仕事」や「生きる」ということは自分が幸せになるための「手段」にすぎません。
だからこそ、もし仮に、仕事や生きること自体が目的となってしまっているのなら、今ここで、このタイミングで、「自分にとっての仕事をする『目的』・生きる『目的』とは何か?」を見つめ直してみるといいと思います。
べつに難しく考える必要なんてない、シンプルなものでいいんです。
たとえば私にとっての「生きる」目的は、
いろんな物語に出会ったり、
いろんな土地をめぐって多くの景色や文化に出会ったり、
とにかくできるだけたくさんの、自分が心動かされるものに出会うことです。
そうやって自分の目的を見つめ直すことでその過程で、これからの自分ついて考えたり、いつの間にか忘れてしまった想いや憧れ、願いを思い出すきっかけとなることだってあります。
そして、目的がはっきりすれば、あとはその目的を達成するためにちょっとでも動いてみましょう。
たとえば、
旅をするために場所を問わない仕事をしたいなら、TechAcademy [テックアカデミー] でプログラミングを勉強してみてもいいし、
海外に行きたいならレアジョブ英会話 でオンライン上で英語の勉強してみてもいいし、
Bizseek などでお金を稼ぎながら、別の働き方を模索したっていい。
そうすることできっと、自分にとっての幸せに近づいていけるはずです。
ここまで読んでくれてありがとうございました。
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