書店が閉店していくのは寂しい

 

近年、書店の閉店が相次いでいます。

 

私自身、普段利用していた書店もどんどん閉店してしまったり、規模を縮小したり、

なかなか、本と出会うのも難しくなってきました。

 

たしかに、ネット通販や電子書籍の普及、月額払えば対象の電子書籍が読み放題、など

 

わたしたちが紙の本を読む機会や、実際に店舗に行かなければいけない

という機会が減っているという点などを考えると、

 

やはりこれは仕方のないことなのかもしれません。

 

でもやっぱり、私個人としては、どうしても寂しいなと感じてしまうんです。

 

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その時その書店だからこそ出会える本がある

それぞれのお店ごとに、ディスプレイって違いますよね。

 

手作りのポップがあったり、季節ごとにコーナーができたり、書店員の方のおすすめ本があったり、

 

ある店では棚差しされている本が、違う店では平台に置かれていたり、

ある店には置いていない本が、違う店では置いてあったり、

 

それぞれの店にそれぞれの特徴がある。個性があるんですね。

同じ並びの店なんてひとつもない。

 

だから、どのタイミングで、どの店に行くかによって出会える本も変わってくるんです。

思いがけぬ出会いをすることだってあります。

 

きっと自分ひとりでは、出会うことのできなかったであろう本に出会って、

世界が広がることだってあるし、

思わぬ世界を知ることだってある。

 

たしかに、ネットショップでもたくさんの本に出会う機会はあるかもしれません。

閲覧履歴や購入履歴から「あなたが次に読みたいと思うのはこのあたりの本でしょ?」

というように的確におすすめしてくる機能もあるくらいですから。

 

でもわたしはそればかりだと、視野が狭くなってしまう、世界が広がらない、と思ってしまうんです。

 

実際のお店に行ったからこそ、思いがけぬ出会いをすることもある。

 

思いがけぬ出会いに救われることもある

本って、人生という海でおぼれそうになっている人を救う「浮き輪」

にもなりえるんじゃないかと私は思っています。

 

みなさんは、何かに悩んだり迷ったり、つらいこと苦しいことがあった際、

書店に行って本と出会うことで、救われた経験はないでしょうか?

 

きっと、そのような経験をされたことのある方は多いんじゃないかなと思います。

 

ですが実際、どの本が自分にとっての浮き輪となるのか、膨大な本の中から見つけ出すのは難しいですよね。

 

だからこそ、書店があって、書店員の方たちがいるんじゃないかなと思います。

 

どの本を仕入れて、どの本を平台に置くか、

どの本を目立つところに置くか、おすすめにするか、

どの本にどんなポップを書くか、

 

そうやって書店員の方たちが、たくさんの浮き輪を投げてくれることで、

わたしたちは自分にとって、「良かった」と思える本に出会えるのではないでしょうか。

 

私自身、書店員の方たちが投げてくれた浮き輪に何度も救われてきたので。

 

 

もしその時点では自分に響かない本だったとしても、あとになって思いがけぬ時にその本に救われることだってありますし。

 

自分にとっての避難場所

思い返してみれば、書店というのはわたしにとって、避難場所のような存在だったように思います。

 

つらいことや苦しいことがあったとき、居場所がないときに訪れることで、

「あっ、このシリーズの新刊出てる!」、「この本面白そうだなぁ」、「へー、こんな本もあるのか!」と、

楽しい気持ちになったり、元気をもらったり、

 

時間を忘れて入り浸っていたことも度々でしたし、

本に夢中になるあまり、いつの間にかつらいことがあったことなんてすっかり忘れていたりしたことも多かったです。

 

そして、一時でも現実世界から離れられるような、そんな気がして安心したものです。

 

わたしにとって、書店というものは、

避難場所であり、回復シェルターのようなものだったのかもしれません。

 

おわりに

ここまでいろいろ述べてきましたが、

結局のところ、わたしが、書店がなくなっていくのが寂しいと思ってしまうのは、

自分にとっての思い入れの深い場所だから、ということがきっと最も大きいんだと思います。

 

書店に行ったからこそ出会える本、

書店という場所の心地よさ。

 

やっぱり寂しいです…

 

どうにかできないものか。

 

 

ここまで読んでくれてありがとうございました。

 

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