「周りから認めてもらいたい」という思いはきっと多くの人が持っているものだと思います。
そしてその思いがあるがために、
「頑張ってるのに周りから認めてもらえない…」
「誰も認めてくれない…」
と、思ってしまうこともきっと多いと思います。
でもわたしは、この考えは行き過ぎるとすごく危険なことだと思うんです。
スポンサーリンク
他人に自分の評価のすべてをゆだねてしまっている
まずわたしは、「他人に認めてもらいたい」「誰も認めてくれない…」という思いは、自分の評価を周りにゆだねてしまっていることになると思うんです。
「他人に認めてもらいたい」という思いの中には、
「自分の存在を肯定してもらいたい」という思いがあります。
他人から認めてもらうことで、
「自分自身を肯定したい」、
「自分は生きていてもいいんだ」、と思いたい。
他人から認めてもらうことで自己肯定感を高めようとしてしまっているんです。
そして、他人に自分の評価をゆだねてしまっているんですね。
でも、他人に自分の評価を全てゆだねてしまうのってすごく危険なことなんです。
評価なんてコロコロ変わる
他人からの評価なんて、その時々や人によって変わるものです。
その人の置かれている状況、その時の気分、抱えているものによって、
否定されるときもあれば、認めてもらえる時もあるし、
これまでの経験、それによって生まれた価値観、によって人それぞれ認めてもらえるかなんて違います。
その時には認められても、次の日には否定されてしまったり、
ひとりの人には認めてもらえても、また別の人には否定されてしまうこともあるんです。
→他人や周りと「考え・意見・価値観が違う」って当たり前だと思う。
終わりがない
評価がコロコロ変わるということは終わりがないということです。
ある時は認められたとしても、突然否定されてしまったり、
また、ずっと否定され続けてきた中でやっと認めてもらえたとしても、またすぐに否定されてしまったり。
終わりがないんです。
否定されるたびに、
「認めてもらわなきゃ…」という思いを抱くようになってしまう。
永遠に飢餓感に襲われてしまうんです。
最終的につぶれてしまうこともある
「頑張っているのに認めてもらえない」
という思いが行き過ぎてしまうと、
「何が何でも周りから認めてもらわなくちゃ…」
「そうしないと自分には価値がない…」
と、どんどん自分を追い込んでしまうようになります。
すると、「自分はほんとうに誰よりも劣っているんだ…」「自分には価値がないんだ…」と、自分を責めて責めて、
結果、潰れてしまうことだってあります。
( 私自身、幼いころから、自分の性質や考えを否定されて育ってきたため、ずっと
「周りから認めてもらわなきゃ」という思いを抱えて生きてきました。
ですが結局、その思いが行き過ぎてしまったがゆえに、精神を壊してしまったことがあります。)
おわりに
こんなふうに、
「他人から認めてもらいたい」という思いは 他人に自分の評価を全て委ねてしまうことにもなり得るんです。
そして、もしそうなってしまえば、他者の気分によって自分の評価や自己肯定感も操作されてしまうことにもなる。
「周りから認めてもらいたい」という思いが行き過ぎてしまえば、つぶれてしまうことだってある。
だからこそ、「周りから認めてもらいたい」という思いにとらわれすぎずに、生きていきたいものですね。
→「普通になりたい」なんて思わなくていい。だって「普通」とは単に一部の人が安心を得るための言葉なのだから。
ここまで読んでくれてありがとうございました。
この記事を読んだ人が他に読んでいる記事
スポンサーリンク