「大企業に就職できたら人生勝ち組」
「就活に失敗したら人生負け組」
「受験に失敗したら人生負け組」
などといった表現をよく耳にします。
でも私は、人生において勝ち組・負け組なんてものは存在しないと思うんです。
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そもそも勝ち・負けの基準とは?
一般的な勝ち負けの基準というのは、
たとえば、
徒競走であれば、時間で勝ち負けを競うことが多く、
早食いであれば、時間の速さで勝ち負けを競い、
じゃんけんであれば、パーはグーに勝ち、グーはチョキに勝つ、など、
それぞれに勝ち負けの基準がしっかり設定されているんですね。
でも、人生においての勝ち負けの基準っていったい何なんでしょうか?
給料?人脈?結婚?それとも地位?
きっとこれは、その時と場合によっても変わってきますし、人によっても異なると思います。
なので、はっきりした基準はないものなんです。
勝ち・負けの基準はあるようでいて本当はない
もし仮に、お金をどれくらい稼いでるかどうかが基準で人生の勝ち負けが決まるとします。
もちろんそれで「俺は人生勝ち組だ!」と喜んだり、幸せを感じる方もいます。
ですがなかには、それを重要視していない方、まったく興味がない方もいるわけです。
やはり、人生において何を重要視しているかってみんなそれぞれ違いますよね。
たとえば、
お金をたくさん稼ぐことを重要視する方もいれば、
人から尊敬されること、
自分自身が楽しいと感じること、
色んな人とつながって毎日を楽しむこと、
色んなところに行っていろんな景色を見ていろんな人に会うこと、を重要とする方もいる。
基準なんて人それぞれなんですね。
だから、比べる必要はないし、
勝ち負けに分ける必要もない。
勝ち負けの基準なんてあってないようなものなんです。
人生は勝負じゃない
もし人生に勝ち負けが存在するのだとしたら、まずそれはそもそも、人生は勝負事である、ということになりますよね。
でも、わたしは人生は勝ち負けを決めるものではないと思います。
人生って、ただ、自分がやりたいことをやるためのもの・自分が幸せになるためのもの
だと私は思うから。
言葉に惑わされているだけ
そもそも一般的に言われる、人生においての勝ち負けというのは、人が勝手に立てた基準をもとにして、それに対して一部の人たちが一喜一憂しているだけなんです。
ある種の人たちにとって、優位に立っていると思い込みたいためにあるものなんですね。
ただ単にわたしたちは、他人が立てた基準に惑わされているだけなんです。
→「あなたのためを思って」と言ってくる人からはすぐに離れるべき
おわりに
こんなふうに人生においての「勝ち組」「負け組」っていうのは、他人が勝手に作ったものであり、そもそも存在しないものなんです。
ただ単にそう思い込まされているだけなんです。
だから、もし何かに失敗してしまったり、つまずいてしまった時に周りから、
「お前は人生負け組だ」なんてことを言われたとしても、それで落ち込む必要なんてないんです。
そもそも基準が違うし、そもそも人生は勝負じゃないから。
自分が思ったこと、感じたことをもっと大切にしていいと思います。
それにもし仮に、人生に勝ち負けがあったとしても、自分が良い人生だったと思えれば、それは結局、勝ち組ということなんじゃないでしょうか。
他人から決められるものではなくて、自分自身で決めることなんじゃないかなと思います。
→他人と比較するのは間違い。そもそも、目的地やペースが違う。
ここまで読んでくれてありがとうございました。
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