「自由になりたい」
日常を過ごしていると、こう思ってしまうこときっとあると思います。
でも、「自由になりたい」って思うのって、なんか違うんじゃないかなと、わたしは思うんです。
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原因
そもそもどうしてそのような思いを抱いてしまうのでしょうか。
幼いころからの教育
それはきっと幼いころからの教育によるものなのではないでしょうか。
わたしたちは幼いころから、学校や教員、周りの大人たちから、多くの理想や善悪を刷り込まれて育ちます。
周りと同じことをするのが良いこと、違うことをするのは悪いこと、
良い大学に入って、大企業に勤めるのが理想、
公務員になって安定した生活を送るのが正しい、
他人のためになる仕事をするのが普通、
などといった、さまざまな理想や普通、善悪、
正しい人生、良しとされる人生、理想の人生を教え込められるんです。
「こうしなきゃいけない」、「こうすべきである」、
といったことを刷り込まれてしまうんですね。
結果、それらに縛られてしまうようになるんです。
周りの視線
人間はだれしも、周りからの否定を恐れてしまうものです。
やはり、周りから嫌われてしまうこと、否定的な言葉、冷たい視線など、なるべく避けたいものですよね。
ですがそれらを恐れてしまうあまり、一定の枠から、出られなくなってしまうんです。
枠に縛られてしまうんです。
縛られてしまっている
こんなふうに、わたしたちはいつの間にかいろんなものに縛られてしまっているんです。
平均点や給料、就職率、などといった数字、
常識として~、社会人として~、などといった常識、
〇〇大卒、〇〇に勤務、などといった肩書き、
など。
ほんとうにいろいろなものに縛られてしまい、身動きがとりづらくなっているんです。
ただの思い込み
でも実際は、それらはただの思い込みであることも多いんです。
いくら学校のテストでいい点数が取れなくたって、いろんな暮らしの知恵や自然に関する知識、お金に関する知識などがあれば生きていけるし、
常識なんてあまりあてにならないものだし、
肩書きがなくたって、探し方次第で、働くところは見つかります。
周りから認めてもらえなくたって、自分さえよければいい、他人は他人自分は自分、という考えもある。
こうしなきゃ生きていけない
こうしなきゃ周りから嫌われる
というものはないんです。
単に、そう思い込んでいるだけなんです。
だから、囚われているわけではない。
きっと、とらえ方なんです。
おわりに
わたしたちは不自由だ、と思い込んでしまうことが多いけれど、ほんとうはもとから自由なんです。
囚われているわけではない。
思い込みで、とらえ方なんです。
とらえ方次第で、自由にもなるし、不自由にもなる。
だからこそ、自分の中での思い込みやとらえ方を見つめ直してみることで、きっと、もっと生きやすくなるんじゃないかなとわたしは思います。
ここまで読んでくれてありがとうございました。
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