苦しかったり、つらかったり、悲しかったり、
代り映えのしない日々に退屈してしまっているとき、
「生きる意味って何なんだろう?」と思ってしまうことはないでしょうか。
私自身も以前、いじめやうつになってしまった際、ずっとそればかり考えていたことがあります。
そこで今回は、「生きる意味」について、わたしの考えを話していきたいと思います。
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生きることに意味はない
わたしは生きていることに意味なんてもともと何もないんじゃないかなと思っています。
この地球に現象として、生命が宿って死んでいっている、というサイクルがあるだけで、そこに意味なんてないんじゃないかなと思います。
意味がないからこそ、そこに意味を与えるのは自分自身しかいない
結局、生きているということには意味なんてないけれど、
「なーんだ、意味はないのか」と、そこでがっかりして終わってしまうのはなんかもったいないと私は思います。
意味がないからこそ、そこに意味を与えられるのは自分自身しかいなくて、
そして、自分自身でその意味を作り出していけるということは、ある意味「希望がある」ということなんじゃないかなと思うんです。
なににでもなれるし、どんなことでもできる。
意味を持たないものに自分でこれから意味をつくっていけるってすごく素敵なことですよね。
それに、元々生きることに意味なんてないからこそ、もし自分自身でその意味を見出した時の喜びはきっとひとしおだと思いますし、だからこそよりいっそう、そのことにひたむきになれるんじゃないでしょうか。
→生きていくうえで自分を表現する手段をひとつでも持っておくと良いと思う。
意味がないと思ったほうが楽
それにわたしは、「もともと生きていることに意味なんてない、」と思って生活していたほうが生きていくうえで楽なんじゃないかと思うんです。
きっと多くの人は、「生きることにはきっと何か意味があるはずだ」と心のどこかで思ってしまっていると思います。きっとそうであっていてほしいと、そう思いたいんですね。
そしてその意味を探そうと考えたり、悩んだりすると思います。
ですがもし、その意味を探そうとしてそれが見つからなかった際、「意味があるはずなのにどうして自分には見つけられないんだ」と逆に追い詰められてしまうこともあるんじゃないかなと思うんです。
生きることには意味があるはずだ、というところからスタートしてしまうと、意味を見出せなかった際のショックも大きくなってしまうんです。
だからこそ、生きることには意味なんてない、そこからスタートしたほうが精神的にも楽ですし、余計なものを背負わなくても済んじゃないかなと思うんです。
もしも、途中で意味を見いだせたとしたらそれはそれでラッキーくらいのスタンスでいればいいんじゃないかなと思います。
ここまで読んでくれてありがとうございました。
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