学校へ行く意味とこれからの教育の行方

 

近年ネットやSNSの普及で、教育現場での様々な問題を数多く耳にする機会が増えています。

 

そこでふとわたしが思ったことがあります。

それは、

 

学校へ行って義務教育を受ける意味って何なのだろう?」ということです。

 

 

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わたしの思う教育

 

わたしは「教育」というのは、

 

幸福への道しるべとなるもの、幸せな生き方を追い求めるためのもの

 

なのではないかと思っています。

 

教育によって、文章や数字、社会、自然、世界など、さまざまな世界、社会の原理、生きていくうえで必要不可欠な事柄を知る。

 

そして、それらの知識や経験を自分の中に落とし込んでいく。

 

それらがあるからこそ、視野が広がり、選択肢が増えて、自分の好きなものは何か、夢中になれるものは何か、自分にとっての幸せとは何なのか、

 

ということを突き詰めていくことができるようになります。

 

 

結果、自分にとっての幸福に近づいていくことができるのではないかと思うんです。

 

 

義務教育の現状

 

ですが現代では、教育によって逆に、幸福から遠ざかってしまっている気がするんです。

 

たとえばいじめにより、

精神的な苦痛や肉体的な苦痛を受けてしまうことで、人に対して恐怖、トラウマ、不信感、を抱えてしまったり、

 

周りと同じことができなかったり、友達がいなかったり、同じ容姿じゃなかったりすることなどを否定・矯正されることで、劣等感や、自己否定を抱えてしまったり、

 

点数によって比較されることで、追い詰められてしまったり、

 

 

このような、教育を受ける場所でのさまざまな出来事によって、

 

生きづらさを感じるようになってしまったり、

これからの人生に絶望してしまったり、

生きること自体をやめてしまったり、

 

教育というものが、苦しくてつらいものになってしまっているんです。

 

 

本来であれば、教育とは、幸福への道しるべとなるものであるはずなのに、

 

逆に、幸せから遠ざけてしまっているんです

 

 

そして現在の日本の教育現場では、もし上のような様々な理由から学校に行けなくなった子どもは、「不登校児」と言われ、いかにも「その子自身やその家庭に問題がある」というように非難されてしまうことが多いですよね。

 

そして結果的に、家庭や周りの環境によっては、学校に行かないのであれば教育を受けることもできなかったり、そのまま引きこもるようになってしまったり、というのが今の日本教育の現状だと思います。

 

 

これからの教育

 

たしかに近年、いじめ防止法の改正などの動きはありますが、正直わたしは重要なのはそこではないと思うんです。

 

これからはもっともっといろんな形の教育の受け方ができるようにするということ、そして、学校という場所に行かなければ教育を受けられない、という現在の制度を改めるべきだと思うんです。

 

たしかにいろんな人と関わることで得るものもたくさんあるかもしれません。

 

ですが、それによりいろんなものを失ってしまう子だっているし、苦痛と感じてしまう子だっています。

 

 

いじめなどを完全になくすことはできないからこそ、もっといろんな教育の形があっていいと思います。

 

昔は無理だったかもしれないけれど、今はいろんな手段があるはずです。

 

時代とともに変化していくべきだと思うんです。

 

 

 

ここまで読んでくれてありがとうございました。

 

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