私は、実際に口頭で話したり聞いたりするよりも、文字を読むことや書くことが好きです。
それはなぜなのか、考えてみました。
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文字は自分のペースで読んだり書いたりできる
文字を読んだり書いたりというのは、自分のペースで行うことができます。
たとえば、
本を読む際、わからない言葉が出てきたらその度に調べて理解してから先へと読み進めたり、
理解しづらい文章や描写があれば理解できるまで同じ箇所を繰り返し読んだり、
胸が締め付けられるような心苦しい描写では、その悲しみを一度自分の中で収めてから読み進めたり、
美しい描写に出会った場合、その情景に思う存分に浸ってから読み進めたり、
というように。
また、自分で文字を書く場合も、
いくつか同じ意味合いの単語や言葉を並べてみて、どれがこの文章にふさわしいのか、しっくりくるか、ある程度時間をかけて考えてみたり、
どうやったら自分の思っていることを相手にうまく伝えられるのか、書いては消して、書いては消して、を繰り返し、思いの伝わりやすい文章を完成させたり。
こんなふうに、文字を読んだり書いたりする場合、誰からも急かされることなく、一定時間自分の中で考えてから、自分のペースで、物事を理解したり、自分の思いを伝えることができるんです。
ですがいっぽうで、実際に相手と向かい合って話す場合、瞬時に相手の言葉の意味を読み取って理解し、返す言葉を考え構成し、自分の思いや考えを伝えねばなりません。
一定のペースに合わせなければならないんです。
文字には温度がない
私は、実際に相手と向かい合って話す場合、声のトーンや抑揚、表情、話し方、話すスピードなど、温度が存在する気がするんです。
たとえば、
声のトーンが温かい・冷たい、
話している際の表情が温かい・冷たい、 というように。
またその温度によって、相手の機嫌や今現在話していて楽しいかどうか、こちらのことをどう思っているのか など、なんとなくわかってしまうことも多いですよね。
ですが、その温度ってとても変化しやすいです。
楽しげな話をしていたと思ったら、唐突に人の悪口の話へ移ってしまったり、
何気ないたった一言で、相手を怒らせてしまい急激に相手の態度や言葉が冷えてしまったり。
とても変化しやすいんです。
そして、あまりにも温度の変化が激しいと寒暖差で疲れてしまうこともあります。
たとえば現実の世界では、夏と秋の境目などは寒暖差がありすぎて、アレルギー反応を起こしたり、体調を崩してしまう、というように。
たしかに、文章にも書き手の思いや熱意、文末、文の雰囲気などにより、温度は宿ります。
ですが、口頭での言葉と比べると、温度の変化が少なく心地よい気がするんです。
- 自分のペースでできるということ
- 温度の変化が心地よいということ
それらの理由から、私は、文字を読んだり書いたりすることの方が好きであるようです。
ここまで読んでくれてありがとうございました。
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