わたしはあまり他人に興味がないです。
ですがこのような性質を持っていると、
「もっと他人に興味を持ちなさい!」
「そんなんじゃ社会でやっていけないぞ!」
「おまえは性格に問題がある!」
というように否定されたり、問題のある人と認識されたりすることがすごく多く、
「他人に興味がない」ことは人間として治さなければいけないこと、という風潮が強いですよね。
ですが本当に、「他人に興味がない」ということはいけないことで、治すべきこと・改善しなければいけないことなのでしょうか?
わたしは、必ずしも治さなければいけないことではないと思います。
そこで、今回はそのことについて話していきたいと思います。
スポンサーリンク
世の中は他人の人生や行動に干渉してくる人が多すぎる
わたしは、世の中ってすごく他人の人生や考え、行動に干渉してくる人が多すぎる気がしていて、
たとえば、
友人や兄弟、職場の同僚が、「公務員を辞めてパン職人になる」と言い出したら、
「もったいないよ!」
「なにバカなこと言っているんだ!」
「人生どうなっても知らないぞ」
という言葉をかけたり、
「定職につかずに世界を旅したい」と言い出したら、
「なに夢物語を語っているんだ!」
「そんなの無理に決まってる」
「老後どうなっても知らないぞ!」
というように、口出ししたり、否定したり、バカにしたり、
他人の人生や行動、考えに干渉する人が多すぎる気がするんです。
→自己肯定感が低い原因と影響。自己肯定感は子供のうちから育てたほうが良い。
自分の人生を否定されるのはとてもつらいこと
でもやはり、自分の考えや選択を否定されるというのはすごく苦しくてつらいことです。
それらの否定の言葉によって、心が折れてしまったり、落ち込んだり、つぶれてしまったり、挑戦をためらってしまったりすることもあります。
それにそれらの選択だって、自分の過去の経験や持っている性質、出会ったもの、得た知識、これからの未来のことなど、いろんな経験をしてそれらを考えたうえで、迷って悩んで決めたことなのに。
他人から干渉されるというのは、干渉される側にとっては迷惑この上ないということも多いんです。
→生きていく上で自分を表現する手段をひとつでも持っておくと良いと思う。
「他人に興味がない」と他人の人生に干渉することも少ない
ですがいっぽうで「他人に興味がない人」の場合、
友人や兄弟が、「公務員を辞めてパン職人になる」と言い出したら、
「へー、すごいな」
「一体何に出会って何にそこまで心動かされたのだろう」と思うだけだし、
「定職につかずに世界を旅したい」と言い出したら、
「どんなきっかけがあったのだろう」
「そこに至るまでどんなものに出会って何に触れてきたのだろう」
「どういう死生観を持っているのだろう」と思うだけです。
きっと普通の人であれば、猛反対したり、あきれたり、バカにしたりすることなんでしょうけど。
その物事やその人のその考え自体にはそれほど興味がなく、そこに至ったまでの過程のほうが気になってしまうんですね。
だって他人の人生だし、悩んで迷って決めたのは本人です。
「すごいなぁ世の中ほんといろんな人がいるんだなぁ」「人それぞれほんといろんな物語があるんだなぁ」、ぐらいにしか思わないんですよね。
他人に興味がありすぎるのも問題
それに、他人に興味がありすぎるのも度が過ぎると問題だと思うんです。
私は以前つきまといを受けたことがあります。
そのつきまといをしてきた人は、人が大好きで他人にとても興味がある方でした。
過剰すぎる連絡や声掛けなど、自分にとっては本当にうっとうしくて迷惑この上ないことでした。
ですが、迷惑だと言ってもいっこうにそれらが収まることはなく、日に日に悪化していってしまったんです。
結局、最終的に「警察に連絡しますよ」ということを伝えたとたん、それらはなくなりましたが、当時は本当に怖かったし苦しかったです。
他人に興味がありすぎるがゆえに、他人に恐怖や迷惑をかけてしまうことだってあるんです。
→「あなたのためを思って」と言ってくる人からはすぐ離れるべき
こんなふうに、
他人に興味がありすぎるがゆえにやらかしてしまったり、他人に迷惑をかけたり、他人の人生に干渉してしまったりすることだってあるんです。
他人に興味があることが必ずしも正義ではないと思うんです。
だからわたしは、他人に興味がないことが悪いこととは限らないし、必ずしも改善しなければいけないことではないと思います。
他人に興味がなくとも、べつに自分が納得していればそれでいいし、幸せや楽しさを日々感じているのならば無理に治す必要はないんじゃないかなと思うんです。
→「人と関わりたくない」あなたへ。無理に関わる必要はないんじゃない?
ここまで読んでくれてありがとうございました。
この記事を読んだ人が他に読んでいる記事
スポンサーリンク