学校がつらい・行きたくないかどうかは「どの教師に当たるか」という運の要素も強い。

 

学校へ行きたくない

学校が楽しくない

学校へ行くのがつらい… など

 

学校生活を送る中で今までこのような思いを抱いたことのある方、今現在子供がその思いを抱えてしまっている方、きっといると思います。

 

そしてそれには、クラス内でのいじめや友人関係、家庭での問題などきっとそれぞれ様々な要因があることだと思います。

 

わたしはその要因の一つとして、どんな教師に当たるか、というのもあると思うんです。

 

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教師にもいろいろな人がいる

 

教師といっても人間ですから本当に様々な方がいます。

 

たとえば、

  •  生徒と同じ目線に立って物事を考えてくれる人
  • 危険がある場合や困っている際は助けるが、基本放任で干渉しない人
  • それぞれの生徒の性質ごとに適切な接し方を模索する人

 

  • あからさまな差別をする人・生徒を見下す人
  • 周りと同じことができない子を叱り散らす人
  • 「私がこの子を変えてあげなくちゃ…!」と自己陶酔してしまう人

 

というように。

 

教師ひとりひとり本当に様々な性質や考え、目的を持っています。

 

 

子供が1日のうち多くの時間関わる大人

 

教師は子供が1日を過ごす中で、多くの時間を一緒に過ごすもっとも身近な大人でもあります。

 

たとえば、両親とも共働きで、9時〜18時勤務で家へ帰るのが19時の場合、

子供が、朝6時30分に起きて、朝7時30分に家を出て、夕方5時に家へ帰ってくる、就寝が22時だとすると、

 

一緒にいれる時間は朝の1時間、19時〜22時までの3時間で計4時間。

 

いっぽう、教員と過ごす時間(授業時間ではなく一緒の空間や建物で過ごす時間)は、

8時30分〜16時で、計7時間30分となります。

 

もちろん、家から学校までの距離や部活やクラブ活動、などによってもそれぞれ違いはあります。

 

ですが平日だけを見れば、子供は親よりも圧倒的に教員と過ごす時間が長いんです。

 

子供にとっての、もっとも身近な大人ということにもなり得るんです。

 

 

大人の言うことは絶対という教育

 

子供の頃というのは、

 

「大人の言うことは聞きなさい」

「大人の言うことは正しい」

「大人の言うことには逆らわないこと」

 

と教えられ育てられることが多いですよね。

 

そのため、「大人の言うことは絶対」という考えが刷り込まれてしまっていることも多いんです。

 

 

もしその教員が子供にとって脅威となる存在だったら

 

しかし、子供のもっとも身近な大人である教員が、必ずしも子供にとって良い影響を与えてくれる方、助けてくれる存在であるとはかぎりません。

 

上で挙げたように、性格や容姿によってあからさまな差別をする教師だっているし、子供であるがために見下して命令をしてくる人、暴言をはく人、暴力を行う人だっています。

 

子供にとって脅威となる存在になってしまうことだってあるんです。

 

 

そして、もしそれに加えて「大人の言うことは絶対」という考えを刷り込まれていた場合、教師から理不尽な言動や不適切な言動を受けたとしても、

 

「自分が悪いんだ…」

「自分が言う通りにできないから…」

「自分が劣っているから…」

 

というようにすべて受け入れてしまうことにもなりえます。

そして、自分自身を責めてしまうことにもつながります。

 

 

子供は人生の中でも大切な期間だが周りの大人に左右されやすい

 

子供というのは人生においてとても大切な期間です。

 

人格の形成や脳の形にも大きな影響を与える期間でもあります。

 

そんな大切な時期に、もし自分にとって脅威となる大人が周りにいたらどうなってしまうでしょうか。

 

たとえば、

 

「お前は可愛くない」

「どうしてこんなこともできないんだ!」

「お前おかしいんじゃないか?」

 

というように、自分自身を否定されたり怒られてばかりで育ってしまえば、自己肯定感が育たなくなってしまいますし劣等感を抱えるようにもなってしまいます。

 

 

身近な大人の思考や言動に左右されてしまうんです。

 

【感想】「子供の脳を傷つける親たち」。すべての子どもと関わる人に読んでほしい。

 

 

子供は力が弱い存在

 

ですが子供というのはとても力の弱い存在です。

 

自分一人では転校することもできないし、好き勝手学校を休むことだってできない、周りの他の大人に訴えたところで子供の戯言だと受け流されてしまう。

 

もし学校に自分にとって脅威となる存在がいたとしても、逃れることが難しいんです。

 

あまりにも声が小さすぎるんです。

 

 

学校は社会の縮図

 

たしかに、学校は社会の縮図という考えもあります。

 

ですがもしそうだとしても、学校はあまりにも過酷すぎる気がするんです。

 

だって、会社は合わない上司や無茶苦茶な上司がいたとしても、いくらでも自分で転職して上司を変えることができます。

 

ですが、学校は子供の意思だけでは転校することはできません。耐えるしかないんです。

 

社会よりももっと過酷な環境なんです。

 

 

 

こんなふうに、教師というのは子供にとってとても身近な大人で、関わる時間もとても長いです。

 

そのためもし、その教員が子供にとって脅威となる存在であったとしたら、子供にとって学校がつらいものとなってしまうこともある。

 

そして子供というのは、自分で教員を選ぶことができるわけでもないし、声もとても小さい、大人の言うことには従わなければいけないとされてしまう。

 

だからこそ、学校がつらい、行きたくないということは、どんな教師に当たるか、という運にも左右されてしまうのだなぁと思ってしまうのでした。

 

学校へ行く意味とこれからの教育の行方

 

 

ここまで読んでくれてありがとうございました。

 

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